2010年12月26日

「よろしく」

ローマの信徒への手紙16:1-16
ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。
どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。
キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。
命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。
また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。わたしの愛するエパイネトによろしく。彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です。
あなたがたのために非常に苦労したマリアによろしく。
わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。この二人は使徒たちの中で目立っており、わたしより前にキリストを信じる者になりました。
主に結ばれている愛するアンプリアトによろしく。
わたしたちの協力者としてキリストに仕えているウルバノ、および、わたしの愛するスタキスによろしく。
真のキリスト信者アペレによろしく。アリストブロ家の人々によろしく。
わたしの同胞ヘロディオンによろしく。ナルキソ家の中で主を信じている人々によろしく。
主のために苦労して働いているトリファイナとトリフォサによろしく。主のために非常に苦労した愛するペルシスによろしく。
主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。
アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一緒にいる兄弟たちによろしく。
フィロロゴとユリアに、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、そして彼らと一緒にいる聖なる者たち一同によろしく。
あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています。


《よろしく》
本日の箇所は、ローマの信徒への手紙の最後にパウロがローマ教会の人々に挨拶をしている箇所です。ここにはパウロの挨拶の言葉として、「よろしく」という言葉が度々記されています。この「よろしく」というのは、ギリシア語の本来の言葉で「抱く」という意味があります。誰かを抱くという言葉から始まって、ただ抱くだけに終わるのではなく、相手に対して「あなたに祝福があるように」と祝福を告げる・・・。そういう意味が込められているのです。パウロがここで一人一人の名前を挙げながら「よろしく」と語った時、まさに相手を抱きしめる思いで、呼びかけていたのではないでしょうか。
《抱き締めるような思いで》
振り返ってみれば、パウロは、ローマの信徒への手紙で、様々なメッセージを語ってきました。福音の真理について語ったり、福音にある喜びを活き活きと証したり、ローマ教会の人たちを励ますようなメッセージも多く語ってきました。しかし、同時にローマ教会の人々がウッと思ってしまうような、手離しですぐに「アーメン」と応えられることばかりではないような、場合によってはローマ教会の人々がパウロに躓いてしまうかも知れないような、そんなことも語ってきました。そのように様々なメッセージを語ってきたのですが、パウロがそれらのメッセージをどんな思いで語ってきたのか、それが、この箇所に現れているのではないかと思います。一人一人を抱き締めるような思いで、「この人に神の祝福があるように」と祈るような思いで、パウロは語ってきたのだと思います。
《私は失格?》
ずい分前に、教会に来られた方が聖書を読んだ後、こんなことをおっしゃっていました。「自分は聖書を読んで、自分がダメな存在であることがつくづく分かりました。自分が何て身勝手で、わがままに生きてきたかと思って、苦しくなりました。自分は失格です」。私はその方にこんなふうに答えました。「そのように聞かれたのは、きっと心が素直で、真っ直ぐに御言葉に受け止めようとしている証拠ではないでしょうか。それは素晴らしいことです。でも、私は、聖書のメッセージというのは、誰かを裁いたり、誰かを失格とするために聞いていくべきものではないと思います。イエス様は私たちの全てをご存知で、すでに受け止めてくださっているんですよ。ただ、同時に聖書は、私たちが今まで自分が考えてきたこととは違う考え方や、生き方が示してくれているのです。それは、私たちを新しい人生に招いてくださろうとしているからです。そんなふうに感謝して、御言葉に聞きながら、今までとは違う歩みに踏み出せたら素晴らしいですね」。その方は少しほっとした様子で帰っていきました。私自身、いつもそのような思いで御言葉を聞いています。本日の箇所で、パウロがローマ教会の人々を抱き締める思いで、「祝福がこの人に豊かにあるように」との祈りをもって、様々なメッセージを語ったように、イエス様は、御言葉を聞こうとする私たち一人一人を御手でもって抱き締めながら、「祝福があなたにあるように」との祈りをもって、様々なメッセージを語りかけてくださっている・・・。そのような思いで、御言葉を聞いていきたいと思うのです。
《「よろしく」は信頼の言葉》
 日本語でもそうだと思いますが、「よろしく」というのは、挨拶の中でも、「おはよう」とか、「こんにちは」とか、「さよなら」とはちょっと違うニュアンスがあるのではないかと思います。「よろしく」というのは、言うなれば、信頼に基づいて交わされる言葉と言えるのではないでしょうか。そのことを思う時、パウロの「よろしく」との呼びかけにさらなる深い思いを感じます。
パウロがこの手紙を書いた時、どんな状況にあったのかと言いますと、エルサレムに向かおうとしていたところでした。使徒言行録には、ここからパウロの受難物語と言われる出来事が始まっていったことが記されています。パウロはエルサレムに行く前から、エルサレムに苦難があることを覚悟していたようです。そんな思いの中で、この手紙は書かれたのでした。パウロにとっても、エルサレム行きは簡単なことではありませんでした。しかし、その困難の中で、ローマ教会に繋がっている兄弟姉妹を覚えながら、「よろしく」と呼びかけている・・・。パウロは名前を呼ぶたびに、遠く離れた兄弟姉妹を思い出し、その人たちと今も繋がっていることを実感したのではないでしょうか。そして、そのことにパウロ自身励まされたのではないかと思うのです。この困難な局面で「よろしく」と呼び合える兄弟姉妹がいることが支えとなったのではないかと思うのです。
posted by 郡山コスモス通りキリスト教会 at 00:00| ローマの信徒への手紙

2018年12月11日

「よろしく」

ローマの信徒への手紙16:1-16
ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。
どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。
キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。
命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。
また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。わたしの愛するエパイネトによろしく。彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です。
あなたがたのために非常に苦労したマリアによろしく。
わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。この二人は使徒たちの中で目立っており、わたしより前にキリストを信じる者になりました。
主に結ばれている愛するアンプリアトによろしく。
わたしたちの協力者としてキリストに仕えているウルバノ、および、わたしの愛するスタキスによろしく。
真のキリスト信者アペレによろしく。アリストブロ家の人々によろしく。
わたしの同胞ヘロディオンによろしく。ナルキソ家の中で主を信じている人々によろしく。
主のために苦労して働いているトリファイナとトリフォサによろしく。主のために非常に苦労した愛するペルシスによろしく。
主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。
アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一緒にいる兄弟たちによろしく。
フィロロゴとユリアに、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、そして彼らと一緒にいる聖なる者たち一同によろしく。
あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています。


《よろしく》
本日の箇所は、ローマの信徒への手紙の最後にパウロがローマ教会の人々に挨拶をしている箇所です。ここにはパウロの挨拶の言葉として、「よろしく」という言葉が度々記されています。この「よろしく」というのは、ギリシア語の本来の言葉で「抱く」という意味があります。誰かを抱くという言葉から始まって、ただ抱くだけに終わるのではなく、相手に対して「あなたに祝福があるように」と祝福を告げる・・・。そういう意味が込められているのです。パウロがここで一人一人の名前を挙げながら「よろしく」と語った時、まさに相手を抱きしめる思いで、呼びかけていたのではないでしょうか。
《抱き締めるような思いで》
振り返ってみれば、パウロは、ローマの信徒への手紙で、様々なメッセージを語ってきました。福音の真理について語ったり、福音にある喜びを活き活きと証したり、ローマ教会の人たちを励ますようなメッセージも多く語ってきました。しかし、同時にローマ教会の人々がウッと思ってしまうような、手離しですぐに「アーメン」と応えられることばかりではないような、場合によってはローマ教会の人々がパウロに躓いてしまうかも知れないような、そんなことも語ってきました。そのように様々なメッセージを語ってきたのですが、パウロがそれらのメッセージをどんな思いで語ってきたのか、それが、この箇所に現れているのではないかと思います。一人一人を抱き締めるような思いで、「この人に神の祝福があるように」と祈るような思いで、パウロは語ってきたのだと思います。
《私は失格?》
ずい分前に、教会に来られた方が聖書を読んだ後、こんなことをおっしゃっていました。「自分は聖書を読んで、自分がダメな存在であることがつくづく分かりました。自分が何て身勝手で、わがままに生きてきたかと思って、苦しくなりました。自分は失格です」。私はその方にこんなふうに答えました。「そのように聞かれたのは、きっと心が素直で、真っ直ぐに御言葉に受け止めようとしている証拠ではないでしょうか。それは素晴らしいことです。でも、私は、聖書のメッセージというのは、誰かを裁いたり、誰かを失格とするために聞いていくべきものではないと思います。イエス様は私たちの全てをご存知で、すでに受け止めてくださっているんですよ。ただ、同時に聖書は、私たちが今まで自分が考えてきたこととは違う考え方や、生き方が示してくれているのです。それは、私たちを新しい人生に招いてくださろうとしているからです。そんなふうに感謝して、御言葉に聞きながら、今までとは違う歩みに踏み出せたら素晴らしいですね」。その方は少しほっとした様子で帰っていきました。私自身、いつもそのような思いで御言葉を聞いています。本日の箇所で、パウロがローマ教会の人々を抱き締める思いで、「祝福がこの人に豊かにあるように」との祈りをもって、様々なメッセージを語ったように、イエス様は、御言葉を聞こうとする私たち一人一人を御手でもって抱き締めながら、「祝福があなたにあるように」との祈りをもって、様々なメッセージを語りかけてくださっている・・・。そのような思いで、御言葉を聞いていきたいと思うのです。
《「よろしく」は信頼の言葉》
 日本語でもそうだと思いますが、「よろしく」というのは、挨拶の中でも、「おはよう」とか、「こんにちは」とか、「さよなら」とはちょっと違うニュアンスがあるのではないかと思います。「よろしく」というのは、言うなれば、信頼に基づいて交わされる言葉と言えるのではないでしょうか。そのことを思う時、パウロの「よろしく」との呼びかけにさらなる深い思いを感じます。
パウロがこの手紙を書いた時、どんな状況にあったのかと言いますと、エルサレムに向かおうとしていたところでした。使徒言行録には、ここからパウロの受難物語と言われる出来事が始まっていったことが記されています。パウロはエルサレムに行く前から、エルサレムに苦難があることを覚悟していたようです。そんな思いの中で、この手紙は書かれたのでした。パウロにとっても、エルサレム行きは簡単なことではありませんでした。しかし、その困難の中で、ローマ教会に繋がっている兄弟姉妹を覚えながら、「よろしく」と呼びかけている・・・。パウロは名前を呼ぶたびに、遠く離れた兄弟姉妹を思い出し、その人たちと今も繋がっていることを実感したのではないでしょうか。そして、そのことにパウロ自身励まされたのではないかと思うのです。この困難な局面で「よろしく」と呼び合える兄弟姉妹がいることが支えとなったのではないかと思うのです。
posted by 郡山コスモス通りキリスト教会 at 10:05| ローマの信徒への手紙

「よろしく」

ローマの信徒への手紙16:1-16
ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。
どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。
キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。
命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。
また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。わたしの愛するエパイネトによろしく。彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です。
あなたがたのために非常に苦労したマリアによろしく。
わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。この二人は使徒たちの中で目立っており、わたしより前にキリストを信じる者になりました。
主に結ばれている愛するアンプリアトによろしく。
わたしたちの協力者としてキリストに仕えているウルバノ、および、わたしの愛するスタキスによろしく。
真のキリスト信者アペレによろしく。アリストブロ家の人々によろしく。
わたしの同胞ヘロディオンによろしく。ナルキソ家の中で主を信じている人々によろしく。
主のために苦労して働いているトリファイナとトリフォサによろしく。主のために非常に苦労した愛するペルシスによろしく。
主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。
アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一緒にいる兄弟たちによろしく。
フィロロゴとユリアに、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、そして彼らと一緒にいる聖なる者たち一同によろしく。
あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています。

《よろしく》
本日の箇所は、ローマの信徒への手紙の最後にパウロがローマ教会の人々に挨拶をしている箇所です。ここにはパウロの挨拶の言葉として、「よろしく」という言葉が度々記されています。この「よろしく」というのは、ギリシア語の本来の言葉で「抱く」という意味があります。誰かを抱くという言葉から始まって、ただ抱くだけに終わるのではなく、相手に対して「あなたに祝福があるように」と祝福を告げる・・・。そういう意味が込められているのです。パウロがここで一人一人の名前を挙げながら「よろしく」と語った時、まさに相手を抱きしめる思いで、呼びかけていたのではないでしょうか。
《抱き締めるような思いで》
振り返ってみれば、パウロは、ローマの信徒への手紙で、様々なメッセージを語ってきました。福音の真理について語ったり、福音にある喜びを活き活きと証したり、ローマ教会の人たちを励ますようなメッセージも多く語ってきました。しかし、同時にローマ教会の人々がウッと思ってしまうような、手離しですぐに「アーメン」と応えられることばかりではないような、場合によってはローマ教会の人々がパウロに躓いてしまうかも知れないような、そんなことも語ってきました。そのように様々なメッセージを語ってきたのですが、パウロがそれらのメッセージをどんな思いで語ってきたのか、それが、この箇所に現れているのではないかと思います。一人一人を抱き締めるような思いで、「この人に神の祝福があるように」と祈るような思いで、パウロは語ってきたのだと思います。
《私は失格?》
ずい分前に、教会に来られた方が聖書を読んだ後、こんなことをおっしゃっていました。「自分は聖書を読んで、自分がダメな存在であることがつくづく分かりました。自分が何て身勝手で、わがままに生きてきたかと思って、苦しくなりました。自分は失格です」。私はその方にこんなふうに答えました。「そのように聞かれたのは、きっと心が素直で、真っ直ぐに御言葉に受け止めようとしている証拠ではないでしょうか。それは素晴らしいことです。でも、私は、聖書のメッセージというのは、誰かを裁いたり、誰かを失格とするために聞いていくべきものではないと思います。イエス様は私たちの全てをご存知で、すでに受け止めてくださっているんですよ。ただ、同時に聖書は、私たちが今まで自分が考えてきたこととは違う考え方や、生き方が示してくれているのです。それは、私たちを新しい人生に招いてくださろうとしているからです。そんなふうに感謝して、御言葉に聞きながら、今までとは違う歩みに踏み出せたら素晴らしいですね」。その方は少しほっとした様子で帰っていきました。私自身、いつもそのような思いで御言葉を聞いています。本日の箇所で、パウロがローマ教会の人々を抱き締める思いで、「祝福がこの人に豊かにあるように」との祈りをもって、様々なメッセージを語ったように、イエス様は、御言葉を聞こうとする私たち一人一人を御手でもって抱き締めながら、「祝福があなたにあるように」との祈りをもって、様々なメッセージを語りかけてくださっている・・・。そのような思いで、御言葉を聞いていきたいと思うのです。
《「よろしく」は信頼の言葉》
 日本語でもそうだと思いますが、「よろしく」というのは、挨拶の中でも、「おはよう」とか、「こんにちは」とか、「さよなら」とはちょっと違うニュアンスがあるのではないかと思います。「よろしく」というのは、言うなれば、信頼に基づいて交わされる言葉と言えるのではないでしょうか。そのことを思う時、パウロの「よろしく」との呼びかけにさらなる深い思いを感じます。
パウロがこの手紙を書いた時、どんな状況にあったのかと言いますと、エルサレムに向かおうとしていたところでした。使徒言行録には、ここからパウロの受難物語と言われる出来事が始まっていったことが記されています。パウロはエルサレムに行く前から、エルサレムに苦難があることを覚悟していたようです。そんな思いの中で、この手紙は書かれたのでした。パウロにとっても、エルサレム行きは簡単なことではありませんでした。しかし、その困難の中で、ローマ教会に繋がっている兄弟姉妹を覚えながら、「よろしく」と呼びかけている・・・。パウロは名前を呼ぶたびに、遠く離れた兄弟姉妹を思い出し、その人たちと今も繋がっていることを実感したのではないでしょうか。そして、そのことにパウロ自身励まされたのではないかと思うのです。この困難な局面で「よろしく」と呼び合える兄弟姉妹がいることが支えとなったのではないかと思うのです。
posted by 郡山コスモス通りキリスト教会 at 10:05| ローマの信徒への手紙