2015年09月20日

「新しい生き方」

エフェソの信徒への手紙 4:20-24

 しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。 キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。 だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、 心の底から新たにされて、 紙にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
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2015年09月13日

「愛の内実」

エフェソの信徒への手紙 3:18-19

 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、 人の知識をはるかに越えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあるれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。
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2015年09月06日

「隔ての壁の向こうに」

エフェソの信徒への手紙 2:14−22

 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。 それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。 従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、 使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。 キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。
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2015年08月30日

「キリストのもとに一つ」

エフェソの信徒への手紙 1:10-14

 こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。 キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。 それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。 あかたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。
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2015年08月23日

「私が子どもだった時に」

ルカによる福音書 12:13-21

 群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」 イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
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2015年08月16日

「戦わない勇気」

イザヤ書 2:4

 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
 彼らは剣を打ち直して鋤とし
 槍を打ち直して鎌とする。
 国は国に向かって剣を上げず
 もはや戦うことを学ばない。
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2015年08月09日

「主に結ばれている者らしく」

ローマの信徒への手紙 16:2

 どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。
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2015年08月02日

「希望の源」

ローマの信徒への手紙 15:12

 また、イザヤはこう言っています。
 「エッサイの根から芽が現れ、
 異邦人を治めるために立ち上がる。
 異邦人は彼に望みをかける。」
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2015年07月26日

「義と平和と喜びと」

ローマの信徒への手紙 14:17

 神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。
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2015年07月19日

「生きて働かれる主と共に」

マタイによる福音書 4:4

 イエスはお答えになった。
 「『人はパンだけで生きるものではない。
 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
と書いてある。」
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2015年07月12日

「全うする愛」

ローマの信徒への手紙 13:8-10

 互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。 愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。
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2015年07月05日

「本物の愛」

ローマの信徒への手紙 12:9

 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。

※上記は、10節まで記載しています。
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2015年06月28日

「神の招き」

ローマの信徒への手紙 11:29

 神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。
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2015年06月21日

「派遣」

ローマの信徒への手紙 10:14-21

 ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。 実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。 それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。もちろん聞いたのです。
 「その声は全地に響き渡り、
 その言葉は世界の果てにまで及ぶ」
のです。 それでは、尋ねよう。イスラエルは分からなかったのだろうか。このことについては、まずモーセが、
 「わたしは、わたしの民でない者のことで
    あなたがたにねたみを起こさせ、
 愚かな民のことであなたがたを怒らせよう」
と言っています。 イザヤも大胆に、
 「わたしは、
    わたしを探さなかった者たちに見いだされ、
 わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した」
と言っています。 しかし、イスラエルについては、
「わたしは、不従順で反抗する民に、一日中手を差し伸べた」と言っています。
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2015年06月14日

「あわれみの器」

ローマの信徒への手紙 9:2

 わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。
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2015年06月07日

「勝利の愛」

ローマの信徒への手紙 8:26

 同様に、霊≠燻繧「わたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊℃ゥらが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。
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2015年05月31日

「罪の本質」

ローマの信徒への手紙 7:1-10

 それとも、兄弟たち、わたしは律法を知っている人々に話しているのですが、律法とは、人を生きている間だけ支配するものであることを知らないのですか。 結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結び付けていた律法から解放されるのです。 従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません。 ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。 わたしたちが肉に従って生きている間は、罪へ誘う欲情が律法によって五体の中に働き、死に至る実を結んでいました。 しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく霊≠ノ従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。

  内在する罪の問題

 では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。 ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。 わたしは、かつては律法とかかわりなく生きていました。しかし、掟が登場したとき、罪が生き返って、 わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。
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2015年05月24日

「共におられる神」

ヨハネによる福音書 14:25-31

 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。 『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。 事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。 もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。 わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。さあ、立て。ここから出かけよう。」
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2015年05月17日

「神からの賜物」

ローマの信徒への手紙 6:23

 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
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2015年05月10日

「1本の杖をもって」

マルコによる福音書 6:6B-13

  十二人を派遣する
 それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。 そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、 旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、 ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。 また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。 しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」 十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。 そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。
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